いまだ帰れぬ日本兵・・ 野ざらし70体
今から約60年前、東南アジア周辺が太平洋戦争の激戦地であり、多くの旧日本兵が玉砕して散っている事をご存知の方は多いだろう。今回の記事は、これに関したお話である。参考は、7月21日の朝日新聞である。太平洋戦争で激戦地となり、10000人以上の旧日本兵が玉砕した、インドネシアの「ビアク島」で、民間の慰霊団が7月上旬、多数の遺骨を発見した
鉄カブトをかぶったままの全身骨格もあり、多くは野ざらし状態だった。発見した遺族らは「63年間もなぜ放置されているのか」と国に訴えている。
今回、現地を訪れたのは民間慰霊団の8人。そのうち、4人は、「ビアク島」で戦死した旧日本兵の遺族だった。
地元の人の案内で林に入ると、鉄カブト3個や大腿骨や肋骨、せっけん箱や飯ごうが散乱していた。
カブトを手で持ち上げると、中には頭蓋骨がそのままあり、骨の内部はアリの巣になっていた。
土や草を手で払いのけると、足の先までの全身の骨格が現れた。
兵士は63年間、うつぶせに倒れた戦死直後の姿勢を保っていたらしく、黒い靴底が大空に向いたままの状態だった。鉄カブトの横にはガスマスクの一部と、旧日本陸軍が食あたりなどの予防薬として配っていた「クレオソート丸」の小瓶が2つあった。
現場は最近農地として開拓され、多数の骨が見つかるようになったのだという。
〜ビアク島戦史〜
ビアク島は、太平洋戦争における最大の激戦地とされ、現在はインドネシア領ニューギニア・ビアク島といわれている。
ミッドウェー海戦やガダルカナル島戦以降、劣勢に回っていた日本軍は、「ビアク島戦は絶対国防圏の天王山」と位置づけていた。
そして、起死回生を図るため、当時、装備・兵の士気ともに日本軍最強師団と言われた、青森、岩手、秋田、山形県の東北健児で編成された陸軍36師団を中心に、約13000名の守備隊をビアク島へ投入した。これに対し、アメリカ軍は、2倍以上の約30000名の兵士をビアク島に投入、歴史に残る大激戦が展開された。日本軍はすでに日本本土からの補給線を絶たれていたので、応援のないまま約1か月間、ビアク島を死守すべく勇敢に戦った。
だが、衆寡敵せず、83名(生存率約0.6%)を残し全滅してしまった。
